テーマコラム

相談を受けるときに弁護士が考えていること、事件を担当するなかで弁護士が考えていることを綴ります。

交通事故の相談を受けるときに、心していること

 弁護士になって2年目の頃、私は、大型ダンプと普通乗用車の衝突事故で、普通乗用車を運転していた20代の青年が死亡した交通事故を受任しました。
 私は、その後の二十数年間で、死亡事件や重い後遺障害が遺った事件を、たくさん担当しましたが、最初に受任した死亡事故のことをずっと忘れずに仕事をしてきました。

 被害者が死亡した事故や、高次脳機能障害など重い後遺障害を負い事故の記憶が残っていない事故では、被害者は現場検証で自分の言い分を言うことができないので、加害者の一方的説明をもとに、加害者に有利な実況見分調書や供述調書が作成されることがあります。
 また、案外知られていないのですが、現場検証を行う警察官には、交通事故や自動車工学の専門知識があるわけではないので、撮影されてしかるべき写真が撮影されていない場合もあって、事故態様についての立証が困難を極めることがあります。
 事故の客観的な痕跡は、とりわけ「被害者に口なし」と言われるような事件においては、加害者の「ウソ」や実況見分調書の「デタラメ」を見破り、裁判所が事故態様を認定する決め手となる、重要な事柄なのに!です。

 私が受任した事件においても、被害者が、スピードの出し過ぎでカーブを曲がりきれず、反対車線に飛び出した後、自車線に戻ろうとしている不自然な実況見分調書が作成され、この書面が「一人歩き」していました。
 加害者側は、大型ダンプは前方を注視し、センターラインと制限速度を遵守していたが、突然加害車両走行車線に飛び出してきた乗用車との衝突は避けられない、死者の一方的過失による事故だと主張し、刑事事件では不起訴処分となり、民事では、損害を賠償してもらえないだけでなく、逆に損害賠償を提出されそうになっていたのです。
 当時は、現在のように被害者保護の制度もなく、青年のご両親は、当初、事故の現場さえ教えてもらえず、警察やいろいろな相談所をたらい回しにされ、どこでもあきらめるよう説得されるばかり。ご両親の執念で、ようやく弁護士に辿りつかれたのです。ご両親は、日頃、慎重な運転をしていた息子さんが、無茶な運転をしたと言われることに耐えられず、いわば息子さんの「えん罪」を晴らしたい一心で相談に来られたのです。

 この事件は、幸い、親戚の方が、廃車前に詳細に乗用車の損傷状況を写真撮影して下さっていて、また、警察が撮影した写真の中に、かろうじてダンプのタイヤ痕が残されていました。
 これらにより、ダンプがセンターラインオーバーをしていたこと、これを普通乗用車側から見れば、ダンプが大きくセンターラインをオーバーして自己に向かってきているように見えること、それゆえ青年は急ブレーキをかけ制御できなくなり反対車線に出てしまってそこにダンプが衝突したこと、衝突の角度も加害者の指示説明と真逆であることを、明らかにすることができました。
 つまり、警察の作成した実況見分調書の「デタラメ」を立証することができ、勝訴することができたのです。
 裁判で真実が明かになっていく過程で、青年のご両親が、少しずつ元気を取り戻していかれる様子が見られたことも、私にとっては嬉しいことでした。

 しかし、忘れられないのは、勝訴が確定したそのあとのことです。

 青年のご両親は、勝訴が確定したあと、がっくりと肩を落とし目に見えて落胆されているのです。未熟な私は、このとき、ご両親の心情に思い至ることができませんでした。
 しかし、数ヶ月後にご両親からいただいた手紙によって、自分の至らなさを知りました。ご両親は、裁判をすることによって、親として息子さんのためになれていると感じておられた、もっと言えば、息子さんの存在を感じておられたのです。しかし、裁判が終わったことによって、改めて、愛する人は帰らないという現実、親としてしてやれることがないという事実に直面し、もう一度落胆することになったのでした。
 それでも、ご両親は、しばらくしてから、私に、裁判で息子の無念をはらすことができたので、「これから生きていけます。」と伝えてくださったのでした。

 私は、この事件で、裁判の「力」と「限界」を学びました。裁判は真実を明かにし当事者の生きる力になりうるということ、だから弁護士は、困難な事件でも諦めずに力を尽くさないといけないこと、しかし、裁判では本質的な回復ができない重い事件がある。本当は子どもに生き返ってもらいたい、あるいは、もとの元気な身体を取り戻したい、でも裁判でできるのは金銭的な賠償だけである。だから、弁護士はこの限界を謙虚に心にとめて仕事をすべきこと。以上

弁護士 山下信子

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